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2021年12月27日更新の石坂まいたけの記事サイトへ

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越後上田郵便局の取材のもと日本郵政公社のホームページに掲載されたものです。

塩沢町 ふるさとを支える達人たち


天然の風味を追求するマイタケ栽培の達人 石坂恵一さん
越後上田郵便局長 青木 進
越後上田郵便局長
青木 進

 越後上田郵便局のある新潟県南魚沼郡塩沢町は新潟県の南部に位置し、豊かな自然に恵まれ、スキーと織物、そして人気の高い魚沼産コシヒカリの中でも極上米とされる、「しおざわコシヒカリ」の町として全国的に知られています。
 また、日本有数の豪雪地帯である塩沢町では、古くから冬の間の仕事として織物が盛んに行われ、その伝統は麻の繊維を細かく裂いた糸で織り、雪の上で晒して白くする上等な織物「越後上布(えちごじょうふ)」や、絹織物の「塩沢紬」などに生きています。
 雪の持つ天然の漂白作用を利用して越後上布を白くする「雪晒し」は、2月中旬から3月上旬にかけて行われ、この地方に春を告げる風物詩となっています。
 この町で人工栽培のマイタケに天然の形と風味を求めて研鑚を重ね、特許を取得した独自の栽培法で天然に近いマイタケを栽培している石坂恵一さんをご紹介します。


新天地への挑戦

 マイタケは主に東北地方などの深い山の老木の根元に発生する、サルノコシカケ科の巨大なキノコです。昔から幻のキノコと呼ばれ、見つけた人が舞い上がって喜ぶところから「舞茸」と名付けられたという説があるほど、希少価値があるものでした。
 そのマイタケも今では人工栽培で大量生産され、家庭の食卓を賑わせています。適度な歯応えがあり、クセがなく和食、洋食、中華、どんな料理にも合うこと、カサから茎の部分まですべて食べられ捨てるところがないことなどから、理想のキノコとして人気が出てきました。

石坂きのこ組合の工場外観
 塩沢町の田園地帯に建つ、農事組合法人石坂きのこ組合の工場には、棚に横向きに置かれた1斗缶がずらりと並び、大きなマイタケが育っています。年間の生産量は約60トン、その他に霊芝(れいし)やヤマブシタケ、ヒラタケといったキノコも生産しています。
 組合の代表を務める石坂恵一さんがキノコ栽培を始めたのは昭和53年、農協に勤務する農業技術者からの転身でした。

 「それまでJAでキノコ栽培の指導員をしていましたが、自分でもやってみようと思って始めたわけです。最初の1、2年はエノキダケやシメジの人工栽培を手がけていましたが、キノコ栽培の専門家であり、特にナメタケの分野では世界的に有名であった福島県林業試験場の庄司先生(故人)の講演会で『マイタケも人工栽培できる』という話を聞いて"新しい産業への挑戦"という気持ちもあり手掛けてみることにしました」
一斗缶から顔を出すマイタケ

試行錯誤の末、栽培法の確立

 当時、一般的にはマイタケの人工栽培は不可能といわれていた時代だっただけに試行錯誤の連続だったそうです。最初は小さなビンで発生させたマイタケを東京の市場に持ち込んだところ「こんなものはマイタケではない」と言われ、何としても大きく厚く身の引き締まった天然物に近づけたいとさまざまな工夫の結果、キノコを育てる培地(ばいち)を大きくすることを思いつきました。
 最初は中国などから山菜の輸入のために使用された漬物用のプラスチック桶を使ってみましたが、円形で置き場所をとるため、1斗缶を採用しました。
 しかしここで新たな問題が起こりました。培地を大きくしたため酸素不足となり、種菌を仕込んでも発生しなかったり、育たなかったりしたのです。
 酸素不足をどう解消したらいいのか、何年にもわたる研究の結果、現在の強制的に空気を供給する方法を開発しました。

空気の供給をチェックする達人

 石坂さんが理想とするマイタケは、天然の形と風味をそなえ、品質と供給量が安定的に得られるものです。

 「現在は経験と勘に頼っている部分がまだまだ多く、酸素の供給量、温度、湿度との関係など理論的に究明しなければならないことが沢山あります。これらの点を明らかにして技術の確立をはかり、品質の安定と増産をはかりたいと思っています」

 広さ約1,000㎡の組合の工場では、家族や親戚、近所の人など6~7人で、1年を通してマイタケ栽培の作業に当っています。培地となるのは広葉樹のおがくずに、麦を精整した時に出る「ふすま」を混ぜ、水を加えてミキサーでよく混ぜ合わせたもの。
 広葉樹のおがくずを使うのは、マイタケがもともと広葉樹の根元に生えるものだからです。このとき大切なのは水分を65%にすることで、これによって培地をマイタケの菌の好む湿度に保ちます。
 培地を殺菌釜に入れて高温で殺菌したあと種菌を植え付け2週間ほど置くと、菌が培地にしっかりと根を張って缶を横にしても培地が崩れなくなります。こうなったところで棚に差し込んで培養するのです。

缶詰めを行なう装置

 「培養期間中は室温を23度くらいに保ち、酸素不足にならないように、また雑菌が付かないように気をつけます。約2カ月で小さな握りこぶしのような形をしたキノコの芽が出てくるので、これを約2週間かけて16度から18度の温度で生育させます。ここまで来れば缶の口からマイタケの大きな固まりが無数に飛び出していて、それは壮観です」

 収穫の目安は、それまで黒味がかっていた表面がわずかに白くなりかけた時という事で、この頃になると重さも1kg~2kgと大きく成長します。工場内では、このサイクルを1年を通して繰り返しています。

露地で2番収穫

 1回収穫した後の培地には、まだ十分な栄養分と菌糸が残っているため、1回目の収穫が終った缶を工場敷地内に出して2回目を育てます。露地で収穫できるのは9月から10月に限られ、生育に3ヶ月かかるので2番収穫ができる缶は6月までに出したものに限られます。
 マイタケは直射日光を嫌うため、本当は余り光が差し込まない山の中が望ましいのだそうですが、寒冷紗(かんれいしゃ)と呼ぶ薄い布で光を遮り3ヶ月ほど置いて、9月から10月にかけて収穫します。この時期が1年のうちでも収穫の最盛期で、工場生産と露地物合わせた収穫量は1日約1トンに達します。
 このように露地でも栽培しているため、工場全体で使用する1斗缶は、約4万缶にも及びます。

露地栽培を行なう達人

 石坂さんは資源の再利用にも気を配っています。収穫後の培地は良質な有機堆肥として使えるため、近所の農家に提供しています。
 変わった使いみちとしてカブトムシの養殖があります。敷地内に積み上げた使用済み培地に集まってくるカブトムシに卵を産ませ、6月から7月にかけて成虫になったところで販売するもので、子供達に大人気だそうです。


目標は多収高品質

 石坂さんは、キノコ栽培に対する技術が認められ、新潟県技術賞(昭和59年)、日本農業技術賞(昭和60年)、日本農業賞(昭和61年)などを受賞しました。
 いまはマイタケの生産に集中していますが、余裕が出来たらエリンギ、畑シメジなどの栽培にも取り組んでみたいと言います。

 「多収と品質はどうしても反比例する傾向にあるので、当面は品質を落とさないでいかに生産量を上げるかを研究します。そして余力があれば新品種の栽培にも取り組んでみたいと思います」

達人とマイタケ
 お客様から、他の製品に比べて物がよいと評価されたり、口コミで評判が広がり、品質にこだわりを持つ八百屋さんや高級食材店からの注文や問い合わせがあった時が一番嬉しいという石坂さん。
 天然物に勝るとも劣らない風味のマイタケを安定して生産したいと、研究に余念がない石坂さんの挑戦はまだまだ続きます。
達人と郵便局長

ゆうパック商品

 自然豊かな塩沢町で栽培されている石坂さんのマイタケは、味はもちろん、香り、歯ざわりとも天然に近いマイタケですので、とにかく一度味わってみてください。
 昭和63年に、越後上田郵便局第1号のゆうパック商品として扱ったところ非常に評判がよく、3,500個にも及ぶ注文をいただいた商品で、自信を持って推薦します。
 なお、石坂さんおすすめのおいしい食べ方は、天ぷら、炊き込みご飯、バター焼きでした。


2000年8月に亜細亜大学の小野公一教授ご一行が工場見学に来られ、小野教授のホームページに掲載されたものです。

左側:小野教授  右側:石坂猛専務