会社沿革&個人プロフィール

  こんにちは、MBC代表の山田長広(やまだ ながひろ)と申します。
私は地元の高校を卒業し準国家公務員になりました。これも諸般の事情により私が決断しました。当時の情報はとても乏しかったです。今のネット社会であれば、もう少しセカンドオピニオンを聞けたかも知れません。そして別の職種人生を歩んでいたでしょう。しかし行く着くところは性格から察して、やっぱり会社経営、事業を起こす道に辿り着いたと思います。
 父の4兄弟はみな建築業(父の姉は建築業に嫁ぐ)であり、私の二人の兄はそんな環境下で必然と建築にいきました。しかし3男の私は全く建築に興味がありませんでしたし、両親には公務員を奨められてました。ちなみに高校入学前にアルバイトで建築現場の清掃や工事現場の交通誘導員をした記憶がある程度です。公務員にしたかった両親のもとで教育されたのか、とにかく私には勉強しろ、本を読め、新聞を読めと云われました。兄達には言っていた記憶が私にはありません。長男は跡継ぎで、高校ぐらい卒業しなさいでした。すぐに大工になりたいと云っていたが、勉強より早く稼いで中型バイクを購入することが一番だったのかと思います。次男は優良児で高校卒業まで進路に迷ったみたいです。私が思うに機械科に行ってたのに何で建築設計なの?家が建築だから?!今でも兄から明確な回答を頂いてません。次男は次男の苦しみがあったのかな。自ら父・兄の居る建築を選択し入ったんじゃないかと察していますが。
 3男の私は問題児でありながらテスト試験だけは良かったと云うか無難にクリアできる一面がありました。先生曰く生活態度が悪いと云う名目(後で聞いた話ですが、先生の目の届く管理下に置きたかったそうです)でテスト点数から、先生の好きな点数を引いて赤点にされてました。今の時代では考えられないでしょ!夏休みのアルバイト防止対策(勿論アルバイト申請なんてしてないし)で、学校で補修させたかっただけですよ。勿論再テストはクリアーしたので卒業できた訳です。
自営業の親は子供を公務員にしたがることを良く聞きますが、私のもそれに当て嵌まることだったのでしょう!?
実は当時、先生に母が洗脳され、お子さんは教師に向いていると云われたそうです。何の教科でも無難に熟せるからだと云ってました。
確かに私は無難にテスト結果を残してましたが、一応、勉強はしていたんですよ!いつ遊びのお誘いが来てもいいようにテストの1、2ケ月前からテスト勉強していました。1日3、4時間ぐらいだったかな〜。テストが近くなると仲間が勉強会と云うことで本当に勉強しに集まりますが、いつのまにか焼肉パーティになったり、徹夜麻雀などになってました。そして翌日はテストです。だから卒業できた仲間は半分に減ってしまいました。半分の仲間は一緒に卒業はしてないけど今でも仲間です。順調に卒業できた仲間はみんな過酷な状態を予知し事前に勉強してたと思うし、今では卒業したことに自負してると思います。社会人でも同じでしょ。先輩や部下、同僚の付き合いは必要だし、そこを上手くこなせることを高校時代に経験しただけ。高校時代に体験しなければ大学で結局はするでしょ!学校は人間関係構築と将来の道を模索する場所であると思います。勉強だけではつまらないですヨ〜。たかが教科書を覚えるだけですから!!

 我儘に育った私は、想い通りいかないと6歳年上の兄にでも喧嘩をしていました。高校生の時は車を貸して欲しいと懇願し、断られると取っ組み合いです。私は流石に兄を殴りませんでしたが、兄は本気で私を拳で殴ってきます。その拳を潜り抜け兄にタックルしたものです。もう少し幼い時は、兄は私目掛けてカミソリを飛ばして来ました。それを私が避けながら兄をからかって遊んでいました。カミソリ投げては私が避ける反復遊びだったと思います。その遊びでもろに私の額に当たり、二度とできない遊びになりました。男兄弟はそんな遊びがオモシロかったのでしょう。

 さて脱線したので話を戻すと、、、、。

高校卒業後そこは全国若しくは世界へと羽ばたく環境でした。電子整備の初級・中級専門学校でスキルアップしながらキャリアを踏んでおりました。

 しかし、その世界は人格とか個に関係無い学歴、資格試験によって左右されるところでした。
若輩者は現実社会に飛び込んで初めて「私の望む場所でない」と気づきました。

電子整備というハードウェアの世界から、英単語を得意としていた私はソフトウェアプログラマーを目指し、ソフトウェアの道に切り替えました。

30歳で営業職につき、一番難しい人を相手にする職種に就きました。。。。

下記は幾つかの民間企業に勤めた略歴を紹介しております。私の経歴を一読した上で、弊社コンサルタント会社とお付き合い頂けたら嬉しい限りです。また人生経験少ない小生にこれからも諸先輩方のご指導ご鞭撻を頂けたら幸いと思います。

                           2015年4月 代表取締役 山田 長広

1980年代(昭和55年〜平成元年)

新潟県立六日町高校 卒業
準特別国家公務員 勤務 (職種:電子整備)
日本情報産業株式会社 勤務    (MBCの原点、この業界に踏み込んだ時です。)
株式会社フロム・ソフトウェア 勤務 (多感な時期、良い仲間に合い、楽しい会社です。)

1990年代(平成元年〜平成11年)

日産自動車株式会社 勤務      (帰郷を決心した辛い時です。)
慶応義塾大学 経済学部中退
株式会社パスカル イン 勤務    (地元企業にお世話になり将来計画をたてる。)
YAMADAコーポレーション 創業/兼務
山田建築 IT部門兼務

2000年代(平成12年〜平成21年)

社団法人雪国青年会議所 入会
新潟県商工会連合会主催の「創業塾」修了 第16001号
MBC(マネジメント ビジネス コンサルタント) 設立
社屋を現在地に移転
有限会社マネジメント ビジネス コンサルタント として法人化
財務・投資部門設置

2010年代(平成22年〜)

社団法人小千谷法人会 大和支部、青年部入会
大和商工会 入会
総務省信越総合通信局より、届出電気通信事業者を取得。 【届出番号】 B-22-00380
   インターネット経由でソフトなどを利用する「
クラウドコンピューティング」サービス参入
法人設立 5周年(2010年7月4日)
財務・投資部門をMBCグループホールディングスに移管。(2015年4月1日)
法人設立10周年(2015年7月4日)

MBC 1階倉庫をデモルームにリフォーム。(2015年11月)
トキっ子くらぶ サポート店登録 1F、MBCぱそこんるーむ喫茶(2016年 4月)

MBCグループホールディングスの社屋建築計画予定?!(2018年12月)

Information

コンサルタント業務はお互いの思考を理解しなくてはいけません。正解はありませんが、より目的達成に到達するように変革を必要とします。自分が変なければ会社、周りも変わりません。

リンクメニュー